[movie] オデッセイ

TheMartian リドリー・スコット監督とマット・デイモンによる、人類の英知と魂への賛歌です。

というか、もう他に書くことないくらいにしっかりと収斂した一本の白い光の柱のような映画です。(といいつつ2ページほどみっちりやりますが。一部核心に踏み込んでますので未見の方はネタバレご注意ということで)

 

 

この作品はアンディ・ウィアー(Andy Weir)によるSF小説『The Martian』を原作としたものです。この原作は2009年からウィアーが「自分のブログで連載」していたもので、読者の求めに応じて2011年にKindle版をリリースしたところ、瞬く間にベストセラーになり、ついにこうして映画化に至ったという、非常にパワフルなSF小説なんですが。

原作のマーク・ワトニーは宇宙飛行士でありながらあまりマッチョ感はなく、植物学者という側面も含めどちらかというとソフトで、そしてどうしようもなくNerdっぽいキャラクターとして描かれています。(それが火星にひとり取り残された宇宙飛行士がジャーナルにログを残していくという語り口にマッチしていてまた非常に素晴らしいわけですが)

なので、映画化の主役がマット・デイモンと聞いたときには正直、違和感を覚えたわけです。いやいや、そんな男々した正統派宇宙飛行士じゃないだろう、と。何となく漠然とした不安を抱えたまま、本日、前夜特別上映で観に行ってきたんですが。

映画自体は144分という非常に長い尺なんですが、原作はそれ以上に詰め込み度が激しくて、そもそも映画化に当たって全部を取り込むことができないんですよね。なので、そこは監督リドリーと、脚本のドリュー・ゴダードの腕の見せ所だったわけですが、原作のスピリットをしっかり保持したまま、ハリウッド娯楽作品の枠組みにしっかり適合させていて、この辺りの改変のバランス感覚が本当に素晴らしかったです。

その「改変」を踏まえて見ると、例えば原作でのオタク的フレーバーの濃密さをあえて薄めているところが諸々あるんですが、そのレベルではマット・デイモンがものすごくぴったりはまるんですよね。考えてみれば、近年のボーン・シリーズなんかのイメージが上塗りされていた感はあるものの、マット・デイモンといえば『グッド・ウィル・ハンティング』でも非常に繊細な理系少年を演じていたわけで、原作のワトニーに通底する「理知」の雰囲気がしっかりあり、かつ、その上に盛られたマッチョ感も、後半のワトニーの体つきに絡んで、計算・設計された要素として配置されているわけです。まさにナイス・キャスティングと言わざるをえません。

キャスティングということでついでに言えば、アレス・ミッションの宇宙飛行士のキャプテンを務めるルイス船長役のジェシカ・チャスティンや同僚飛行士マルティネス役のマイケル・ペーニャ(お前かよ)、地球側の火星間連ミッション・ディレクターであるビンセント役(原作ではヴェンカットというインド系の名前なんですがビンセントになってます)のキウェテル・イジョフォー等々、実に豪華な面子が素晴らしい演技をしています。特にジェシカ・チャスティンは、前半の陰に沈んだ船内でのシーンは実に絵になっていて美しいんですが、もうひとり特筆すべきなのがアレス3ミッションの地球側ディレクターであるミッチ・ヘンダーソンを演じたショーン・ビーンです。

画面に出てきた瞬間からもう不吉な感じが漂ってしまう辺り、さすがの風格なんですが、その後の振る舞いが素晴らしい。原作のミッチは割と「嫌な奴」臭もほのかに漂っていて、そこがいいスパイスにもなっているんですが、映画版のミッチはその辺が薄められていて、実に男気に溢れたおいしい役どころで、それをショーン・ビーンが非常に適切に演じています。惚れる。

他にもところどころ原作から変わっているところがあって、そのひとつひとつに実に注意深い考慮を感じるんですが、やはり一番大きいのはエンディングでしょう。原作はワトニーの救出に成功したところで割とスパッと終わっていて、それはそれで実に見事なんですが、映画版は完全に新規追加された部分で幕が引かれています。これが実に清々しいというか。

原作は「なぜマーク・ワトニーは救われえたか」という問いを提示し、それに対するワトニー本人の「答え」で終わっていて、それは人間という生き物とその社会の「善性」に関わる大きなモチーフなんですが、映画版はそれはそれで踏まえつつ、「そして次にまた一歩進む」という不撓不屈の魂の連なりという、もう一つの価値を付け足してくるんですね。一歩間違えば大惨事であっただろうアレス3ミッションを越えて、アレス5ミッションが始まり、さらにその先の未来で宇宙に挑んでいくべき若い宇宙飛行士候補生たちへ、ワトニーの経験とスピリットが受け継がれていく、というこの追加部分によって、この映画が、ウィアーの原作を踏まえて、そこからさらに「ドリュー・ゴダード及びリドリー・スコットが自分のものとしてしっかり仕上げた作品」に持ち上げられていると感じます。なんとも清々しい終わり方でした。アカデミー脚色賞にノミネートされているのも非常に深く頷ける感じです。

個人的には原作も非常に気に入っていて、実際、畳み掛けるような苦難の連続とそれに対する取り組み、解決、そしてまた困難、という息をつかせぬ展開については、その描写と科学的考証の濃密さと「連打数」によって、むしろ映画より原作の方がよほど心拍数に応える感じだったり、あれこれ薄めに削られているワトニーをはじめとする主要キャラクターの性格や精神性は原作版ではさらに豊かに描かれていたりします。しかしながら、原作からの映画化作品としてはお手本とも言うべき高みに到達し、しっかり映画として完成している本作品もまた、決してそれに劣らない優れた作品であって、これはもう実に甲乙つけがたいというか、もう両方繰り返し何度も観たり読んだりするしかないだろう、という感じですね。MX4Dもあるし。

やっぱり宇宙飛行士ものは鉄板だなぁ。

[movie] クリムゾン・ピーク

CrimsonPeak 1/8に『ブリッジ・オブ・スパイ』、『イット・フォローズ』と同日公開されたギレルモ・デル・トロ監督、トム・ヒドルストン主演の、ゴシック・ホラーというかゴシック・ロマンスというか、トム・ヒドルストン映画です(いい意味で)。以下、今回はちょっと踏み込んで書いていますのでネタバレ注意です。

もうすでにいろんなところで言われているのでここで繰り返す必要もないんでしょうが、画面はもう本当に美しく、ヒロインを完全に食ってしまっている感のあるトム・ヒドルストンとジェシカ・チャスティンの顔力もあって強烈な「うつくし映画」に仕上がっています。

とは言いつつも外見だけで中身がないか、というとそうではなくて、一方ではギレルモ・デル・トロの趣味が炸裂しまくっていて、「お前雪が赤く染まる絵を撮りたかっただけだろ」というのが丸わかりな「血のように赤い粘土が産出する山のお屋敷」という舞台設定であったり、特に必然性もなく頻出してくる蝶や蛾のクローズアップであったり、何かと言えば頭を割られて死んでいる人が出てきたり、もう中身もデル・トロの赤身と脂身でぎっちりという感じです。

で、もっというと、ストーリーも、いや、これかなり良いですよ?

劇中、ワルツのシーンが出てきて「真に優雅な踊り手を見極めるには、手に火のついた蝋燭を持たせて踊らせればよい。火が消えなければ本物だ」みたいな話があるんですが、物語はそのセリフが一つの宣言だったのではないかと思わせるように実にスムーズで、登場人物の魅力にきらびやかに飾られながら、実に滑らかに進んでいきます。これがまた実に心地よくて。かつ、鍵束をあえて放置するプロットとかクライマックスのトム・ヒドルストンの「君は医者だ」とか、実に軽妙かつ巧緻なステップを踏んでいくわけです。この構成と脚本は結構、侮れません。

そして本作で一番大事なところですが。

デル・トロ監督といえば『パシフィック・リム』もありますが、そもそも『パンズ・ラビリンス』とか『MAMA』の人なんですよね。で、今回この『クリムゾン・ピーク』を観て再認識したんですが、やっぱりこの人、「ゴーストが好き」なんだなぁ、と。「ゴースト」に対して、とても優しい。ホラー映画にカテゴライズされる作品ではありますが、この映画に出てくるゴーストも、やはり人を傷つけないんですよ。自分を殺した相手に対する復讐すらしようともしない。基本的に、ゴーストの方が人に優しいという。これはデル・トロ監督の割と根っこのところではないかという気がします。

そういう「ゴーストへの優しい眼差し」(なんだそれ)を踏まえてみると、このお話はある意味、『パンズ・ラビリンス』にも通じる側面が出てくるというか。この作品は、「ゴーストの話」とか「幽霊屋敷の話」というよりは、不幸に晒されて傷つき歪みながら苦しんでいた人間が、「ゴーストになる話」であり、その舞台が「幽霊屋敷になって」一つの救済を迎える物語、という気がするわけです。ヒロインであるイーディス(ミア・ワシコウスカ)観点で見れば割と悲惨な話ですが、ある意味、生きてるんだから後はどうとでもなるだろう、という放り出され方をする一方で、ラストシーン、もう一人のヒロインであるルシール(ジェシカ・チャスティン)は、ピアノを弾いているんですよね。監督は明白にそちらを向いていて。

というか、まぁデル・トロは明らかに生きている人間には興味がないんですが、そういう振り切った撮り方をする作り手はいいなぁ、というお話でした。

もしくは、ヒドルストンのあのチャーミングっぷりはもはや鬼畜レベル、というお話です。