[movie] スティーブ・ジョブズ
主演マイケル・ファスベンダー、監督ダニー・ボイル、脚本アーロン・ソーキンで、コンピュータ業界が一番騒々しく輝いていた時代に、さらにひときわ騒々しく輝いていた男を描く作品なのですが、スティーブ・ジョブズという「あまりに有名すぎる」人物をいまさら題材に取って、いったい何を描こうというのかという疑問に、ものすごい答えを叩きつけてくる映画です。何というか、どんな球を投げてくるかとバッターボックスで構えていたら物凄いスピードで走ってきた右翼手が重たいボディフックを肝臓に叩き込んできたような。
もうかれこれ24年間、Macをメインに使っていて、iPod以降、アップル社の新製品で買わなかったのはApple Watchだけ(←)、というと、私自身の立ち位置はわりと過不足なく言い表せると思うのですが、要はMacであったりiPod/iPhone/iPadであったり、といったスティーブ・ジョブズが提示してきたビジョンを支持しつつも、彼本人に対して特に思い入れやこだわりはないんですね。そもそも、今回改めて確認するまで、スティーブ・ジョブ「ズ」なのかスティーブ・ジョブ「ス」なのか曖昧だったくらいで。
なので、数々の逸話や「神話」のようなものは、知識としては知っているものの、それもあまり特段興味はない、という感じだったんですが、今回改めて彼自身をテーマにした映画を観て、その立ち位置がちょうどよかったのを感じます。というのも、この映画は、スティーブ・ジョブズ礼賛ではもちろんないし、また、彼を「人間スティーブ・ジョブズ」として捉え直す、ということでもないような気がするからなんですが。
もちろん、彼がMacintoshの前に手がけたLISA(Locally Integrated System Architecture)と同じ名前を持つ「彼が認知を拒んだ娘」リサのプロットは「人間」側面を強く支持する主題であって、かつそれはまたアーロン・ソーキンの脚本もあって非常に強く胸を打つんですが、映画全体のバランスを見ると、やはりそれも、もっと大きな全体を支える柱のような位置づけだと感じます。
というか、もう単純に言ってしまうと、セス・ローゲンとジェフ・ダニエルズが凄まじいんですね。
スティーブ・ウォズニアク(セス・ローゲン)
ジョン・スカリー(ジェフ・ダニエルズ)
セス・ローゲンは「"もうひとり"のスティーブ」、スティーブ・ウォズニアクを、ジェフ・ダニエルズは「ジョブズを追い出した男」ジョン・スカリーを演じているんですが、この二人とファスベンダー演じるジョブズの対決シーンは、場所がだだっ広い空間であることもあって、大きめのIMAXとかTCXとか、あるいはATMOSなり極上爆音なり、そういう仕掛けで堪能したくなるレベルのスペクタクルです。特にウォズとのiMac発表会本番直前のホールでの激突は、広い劇場でまばらな観客で、まさに「その場にいる臨場感」で味わいたいくらいなんですが、まぁせっかくなので大ヒットして観客はいっぱい入っていたとしても我慢します。
劇中でも出てきますが、ジョブズといえば「現実歪曲空間: Reality Distortion Field」です。しかし、そのフィールドに負けないレベルの巨人が出てくると、もうまさに宇宙と宇宙のぶつかり合いのような凄まじいエネルギーが発散されるんですね。現実を改変していくようなビジョンであるとか、世界でも有数の巨大企業を経営するとか、ひとつの時代の基礎となるようなアーキテクチャを設計し、実装するとか、そういう途方もない質量を有する巨大な魂同士が、ある意味「ギャラクティック・ウォー」みたいなレイヤーで激しくぶつかり合いつつ、その下の方では人と人の個人としてのインターフェイスで接し合っている、繋がっているというのは、ある意味、人間の社会の本質なのかもしれませんが、この作品の凄みはまさにそれを上から下までひっくるめてすくい上げたところではないかと思います。
そういう複数の特異点を並べて、そこから眺めた時に、スティーブ・ジョブズが「歪曲」させた現実の空間というのは、実に素直に広がっていて、彼らの眼の前にはとても健やかで明るい宇宙が開けていたんだなぁ、と。なかなか爽快な作品でした。
あとあれです。ケイト・ウィンスレット。いい歳の取り方をしてきてます。本作でまたアカデミー賞にノミネートされていますが、彼女はもういいので、ある意味、同じ場所から飛び立っていったもう一人、レオナルド・ディカプリオに何とかそろそろ、などと思いました。(ジョブズ関係ない)