[photo] in and out of years / Akiyoshi-dai

_DSR7868(Canon EOS 5DS R + EF35mm f/1.4L II USM, 1/8000 sec at f/1.4, ISO100) 年末年始は山口県に帰省していたわけですが、ここ数年、実家に戻るたびに秋吉台に足を運んでいます。2億年以上前には海の底で、長い年月をかけて形成されていった石灰岩の地層によって成立した「カルスト台地」という地形で、人の手がほとんど入っていない一方、大きな樹木が自生しないために延々と草に覆われた中、まばらな潅木・低木とむき出しの白い石灰岩が点在する広大な丘陵地帯という、非常に特徴的な場所です。

夏場は一面が緑に覆われたそれは爽やかな景観なのですが、冬場は見渡す限り枯れ草という非常に佗しい光景で、かつ観光客もほとんどいなくなるため、ちょっと大げさに言うとこの世の果てに来たかのような上質の寂寥感が味わえます。ハイキングロード的な道が開いてあるのですが、駐車場から10分も歩けば、誰もいない、踏み固められた道を除けば人工物も見当たらない、といった状態で、他の場所では簡単には味わえないレベルで文明世界と断絶することができます。ある意味、極上の娯楽です。

a bliss of being alone(Canon EOS 5DS R + Sigma 20mm F1.4 DG HSM | Art 015, 1/2000 sec at f/1.4, ISO100)

この冬は気候も穏やかで、心細くなる程度には空気は冷たく、さりとて生存が脅かされるほどには寒くない、といった感じで、西日にもわずかに暖かさが残っていました。

モノクロで撮っていこうかと思ったんですが、せっかくの微妙な温度感を尊重して、カラーのままで。ちなみにこちらはSIGMAの20mm Artの開放ですが、この遠景のボケが好みに完全にはまっています。個人的には、明るい広角はこうでなければ、という感じ。

_DSR7359(Canon EOS 5DS R + Sigma 20mm F1.4 DG HSM | Art 015, 1/5 sec at f/1.4, ISO100)

同じく、20mm Artの開放です。日暮れ後、三脚を使って撮ってます。このレンズ、周辺も程よく落ちてなかなか深い色を出してくれます。

今回はあまり夕焼けの赤には恵まれませんでしたが、訪れる度にその都度、撮りたいものがあって、ここは本当に、毎年通っても飽きません。

しかし、この秋吉台、近年は地元の人手不足ということで、草地のメンテナンスのために欠かせない「山焼き」の規模が縮小していて、徐々に荒れてきているそうです。まぁ人為的な処置のない「自然」に還っていくことを「荒れる」というのが適切かどうかわかりませんが、今後どうなっていくんでしょうかね。自然破壊ということではないので、別にそれはそれで構わないのかもしれませんが。

[movie] 白鯨との戦い

ロン・ハワード監督、クリス・ヘムズワース主演の「実話に基づく」です。内心期待していた怪獣映画風味は控えめで、海上での「白鯨」との遭遇シーンは、迫力はあるもののやはりそこに焦点があるわけではなく、実際には極限状況に置かれた男たちの人間ドラマ(と、その後日譚)が主眼です。

(そういう意味では原題「In the heart of the sea」を『白鯨との戦い』という邦題にした日本側配給は呪われてあれ。ポスターもアメリカ版の方が圧倒的に良いので今回はそっち。)

なお、キャスト陣には主演のクリス・ヘムズワースだけでなく、キリアン・マーフィーやベン・ウィショーといったおいしい辺りが名を連ねていて、劇中はとりあえず画面には常に花がある、といった感じなのですが、その一方、全体としては薄味というか。最後のポラード船長とか、キリアン・マーフィー演じるマシュー・ジョイの禁酒のくだりとか、人間ドラマの名手ともいえるロン・ハワードならではの「光るプロット」が多々盛り込んであるにもかかわらず、演出なのか脚本なのか、魂に踏み込んでくるようなパワフルさはなく。

しかし、水中のシーンも含めて絵はとてもとても美しくて、キャストの華やかさだけでなく、映像的には非常に贅沢な作品ではあります。

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さて、このところ、「実話に基づく」があまりに立て込んでいて、そろそろ整理をつけなくてはいけないと思っていたので、これを機に少し考えてみたいと思います。

仮に、映画というものが「高ければ高いほど良い建造物」だとした時に、その出来上がっていく建物の天井を支える柱は、「必然性という物理法則」に則した形で組み立てていかなければならない、と個人的には思っています。そして、それがその「法則」を高度に利用しているほど出来上がる建物は美しくなる、という側面があり、逆にそれがないと、「たまたま成り立った」だけ、もしくは「成り立たなかった」作品が後に残るわけです。単純に言えば、人が意図を持って作る「物語」に「なぜか偶然そうなった」は許されない、ということで。

ここが多分、個人的に「実話に基づく」に感じている、もやもやしたものの源なんだと思います。「実話に基づく」は実際にあった「事実」がその骨組みなので、柱の強度も配置も、「物語の物理」に必ずしも則している必要がなくて、端的に言えば、その作品の物語としての構造について「なぜそうなのか」という問いに、「実際そうだったから」以上の答えがない、ということがありうるわけです。で、実際にそうなってしまっている作品を見ると「実話に基づく」に甘えている、という感想を抱くわけです。

たとえば、今時、実際に目にすることはほとんどありませんが「爆弾のコード、赤を切るか、青を切るか」で、「南無三!」とかはありえなくて、赤を切るなら赤を切ると判断するに至る「理」がないとダメだと思うんですが、しかし「現実」ではそこに何の根拠もなく「ままよ!」でやった、ということがありうるわけです。

ただ、こうした「事実がそうだった」という以上の骨組みがないプロットに対する評価において、おそらくは唯一の例外となるケースが、それが「人の心」によるものである場合だと思っていて。それは厳密な必然性では描けないし、むしろ、それが描きえないこと自体によって、その人が描かれることになる、という逆転の構造がそこにあるわけです。その逆転が鮮やかに達成される時、心は震えるわけです。

爆弾のコードの例で言えば、『幽☆遊☆白書』の最後のエピソード。その作品性とか価値とかはさておき、あのエピソードの決着のつけ方がまさに「必然性だけで成立しない因果が、それを超えた物語としての枠で成立している」サンプルではないかと思います。物語の構造とか仕組みだけに着目して言えば、赤を切るか青を切るかで提示されたサスペンスに対する解決が、そのサスペンスにおいて主人公が何を思って何をしたか、という別の軸での物語上のカタルシスに、構造的に転換されているわけです。そして、そういうのは尊い、と。

ちなみに、そのエピソードは、それ自体の出来はさておいて(ベタですよねぇ)、ある意味、一つの里程標のような意味があるような気がしていて、その後、『HUNTER x HUNTER』で冨樫が進んでいった道を拓き、方向性をセットした第二の原点であったような気がします。キメラアント編の最後、そこまでかなり理詰めできっちり立ち上げていった物語の最後のカタルシスは、実は同種の転換ではないかと。そこでは転換先の別軸もしっかり設計・構築されていて、何というか原点に対する見事な到達点という気がします。

話が逸れましたが、改めてまとめると、「実話に基づく」は、「物語を構築する物理」を甘やかす可能性があるものの、その「物理」を越えた別次元の枠において、実話であるがゆえによりパワフルな「人間の魂」による転換を描くことができる構造で、また、そうであるがゆえにこそ、それを達成して見せてほしい、という期待があるわけです。

その意味で、本作は、極限状況のドラマ(海上に限らず、その後の場面も含めて)ということで、人間の意思であったり人智を超えた巨大な存在であったり、といった要素が実際に提示されていて、そこにかすっているんですが、そこが爆発しきらないというか。似たような感触は去年の『エベレスト3D』にもあったんですが、こんな実話があったんだ!とかこんな凄い人物がいたんだ!という「実話の時点ですでに提供されている価値」を、より高みに引き上げて提示してくれる作品が観たいなぁ、と思うわけです。ある意味、期待を裏切ってくれよ、という身勝手な期待ですが。

というわけで、『In the heart of the sea』、キリアン・マーフィーはいい顔でした。

[movie] イット・フォローズ

ItFollows タランティーノが絶賛している(※1)とか、Rotten Tomatoesで97% Freshとか、一部でけっこう話題になっていた作品です。200万ドルだか何だか、という昨今の作品としてはかなり低予算で作っていて、「アイディア勝負」的な話だったので気になっていたんですが。

とりあえず、「志が高い」とまでは言わないまでも「志のある」映画だったのは間違いないです。怖いか、というと、まぁ言うほど怖くはないし、そんなにアイディアが凄いかといったら、まぁ全然そんなことはないわけです。ここで言ってるアイディアというのはプロットレベルの話ではなく、こんなクリーチャー(クリーチャーでもないのか)はどうだ、という単発のアイディアなんですね。まぁ上に貼ってるポスターにも書いてあるんでネタバレにはならないと思いますが、要は「ずっと歩いて追ってくる化け物」というコンセプトで、発想としては確かに怖い。絵面の怖さよりも、そんな奴がいたら嫌だ、という、「頭」に響くタイプの恐怖です。

最後、主人公二人を捉えたシーンも、多分、その前の病室のシーンと合わせて考えれば「志」を持ったエンディングではないかと思うので、そこは前向きに捉えたいと思います。全体の完成度が高くないというか、キャラクターの整理もプロットの整理も綺麗についていないので「美しくまとまった」感はないのですが、低予算一発勝負でこれを世の中に問うてきた姿勢は高く買いたいところ。(何様)

しかし、私はホラー映画自体そもそもあまり観ないんですが、観ないなりに一定の好みのようなものがあるものなんですね。改めて考えてみて思ったんですが、ホラー映画にはやはり、ハッピーエンドであれバッドエンドであれ、カタルシスが欲しいと思う性分のようで。恐怖というのは想像力とそれを抑制する力のせめぎ合いの中で生まれるものだと思っているのですが、私は前者の方が圧倒的に強いようで、けっこう恐怖演出とかには過剰反応する質です。そのため、ホラー映画を観ている時は基本的に極度の緊張状態に置かれてしまって、それゆえ必然的に何らかの「解放感」を強く求める傾向があるのかと思います。なので、限られた経験の中でいうと、ハリウッド版『リング』とか『ディセント』とか、おおおおこう終わっちゃうのかああああ、みたいな終わりが好きなんですよね。緊張から解放されるときにひねりが加わるのが気持ちいいというか。

その観点で、もう一押し欲しかった、というのが多分、一番正直な感想なんだと思います。そんな感じ。

(後日追記)

(※1) 冒頭に書いた「タランティーノが絶賛」ですが、実際には手放しの賞賛ということではなかったようで。「タランティーノが高く評価」の出元はVultureのインタビューであるようなのですが、そこでは"It's one of those movies that’s so good that you start getting mad at it for not being great."と言っていて、要は「これは出来が良過ぎて、逆に『最高』(great)でないことで腹が立ってくるタイプの映画だ」というコメント。これは非常に納得いきます。まさにその通りというか。これに対して監督のデビッド・ロバート・ミッチェルはTwitterで"Hey QT, why don't we get together over a beer and talk about these notes. I have a few of my own for you."と返していたりして、なかなか言うじゃないの、という感じ。

[movie] ブリッジ・オブ・スパイ

news_xlarge_bridgeofspies_poster また! またしても「実話に基づく」!!

まぁスピルバーグは別枠ということでもいいんですが、さすがに最近多すぎて、フィクションとしての映画が、実話に基づくものと完全に現実から離れたSFやファンタジーやスーパーヒーローものに二極化しつつあるのではないかと妙な不安を覚えなくもありません。まぁそれならそれで個人的には気にせず楽しめはするんですが。

それはさておき、『ブリッジ・オブ・スパイ』ですが、監督がスピルバーグ、主演がトム・ハンクス、脚本がコーエン兄弟、ということで、これで駄作ができてきたらむしろ驚くという感じの製作陣なのですが、期待に違わぬ堅い作りの作品でした。

ただそりゃそのメンバーならそうだろ、というところはあって、主観的な満足度が高かったか、というと、必ずしもそうでもなく。喉越しが良すぎるというか、ストレート、ストレート、ストレート、三球三振、はい終わり!みたいな感覚があります。(142分もあるのに)

『リンカーン』でスピルバーグ+ダニエル・デル・ルイスだった時に普通に圧倒されて蹂躙されまくった記憶がまだ鮮明なので、何がこの違いに結びつくのか、ということを少し考えてみる必要がある気がします。

映画そのものとは少し離れますが、ベルリンは割と馴染みのある街なので、「あそこかよ!」みたいな現実の体験とのリンクが面白かったりもしました。フリードリッヒ通りは出張の時にいつも泊まるホテルのすぐそばだし、劇中でドノヴァンが乗った電車もよく乗るやつで、何というか、「実話に基づく」がボディに効いてくる感じでした。

同日公開で『イット・フォローズ』と『クリムゾン・ピーク』があるので、そっちも早めにと思っています。この後『ザ・ウォーク』も『白鯨との戦い』もあるからね!!(また「実話」)

 

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(追記) 『イット・フォローズ』観ました。

[photo] in a life that is not mine

homebound(EOS 5DS R + EF35mm f/1.4L II USM, 1/4000 sec at f/1.4, ISO 100) 帰省時の写真をもう少し。今回、飛行機で帰るということで、久しぶりに羽田モノレールに乗りました。昔は羽田といえば大体このモノレールだったんですが、やはり他の交通手段より、少し「楽しい感」があります。

a tentative life(EOS 5DS R + EF35mm f/1.4L II USM, 1/640 sec at f/1.4, ISO 100)

関東に住んでいる期間の方がもう長くなってしまっているので、地元とはいえ、もはや「自分のホーム」という感覚はなく、台所に何気なく置かれたコップなんかも、外向きの視点で見つめてしまうような状態です。いろんなものが混じった感懐。

living beside(EOS 5DS R + EF35mm f/1.4L II USM, 1/125 sec at f.1.4, ISO 100)

日常を日常ではないものとして眺めるのは不思議なものです。

used to belong(EOS 5DS R + EF35mm f/1.4L II USM, 1/5000 sec at f/1.4, ISO 100)

通っていた小学校は、かつて運動場だったところに校舎が、校舎だったところに運動場が、というドラスティックな改築がされていました。面影ゼロです。