[movie] 写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと

Saul Leiter トマス・リーチ監督による、写真家ソール・ライター本人に対する取材・インタビューで構成されたドキュメンタリーです。2011年から撮影されていたようですが、映画の公開後ほどなく、2013年、ソール・ライターは89歳で亡くなっています。期せずして、偉大な写真家の晩年の姿を捉えた作品になってしまったわけです。

タイトルに「13のこと」とあるように、全体を13幕に区切って、それぞれのトピック、テーマでソール・ライターとの対話や、彼と街を歩いたり、プリントを委託しているギャラリーを訪れたりするクリップをまとめているんですが、やはり何といってもところどころに挿入されるソール・ライターの作品が実に素晴らしくて、その時点でもう満たされてしまいます。黒いスクリーンに彼の作品の、ピンクの傘などの鮮やかな色彩が非常に印象的でした。ちょうど『キャロル』を観てきたところでもあり(同作の監督トッド・ヘインズ自身が、自作とソール・ライターとの関わりについて幾つかのインタビューで述べています)、予感のような期待を抱いていたわけですが、なんというか「『キャロル』の美しさの源流のひとつ」のような作品群について、ライター自身が語る言葉を聞いていると、「ガラスの向こう」の奥行きだけでなく、反射として写り込んでいる「こちら側の世界」であったり、その隔てられた視点であったりといったいろいろな要素について、理解の解像度が上がったり、感覚の抽象度が上がったりするような気がしてきます。

もうひとつ印象的なのが、ソール・ライターという人の「語り」そのものです。実に理知的に、破綻なく、滔々と、それでいて即興的に語り続けるんですね。広く深い語彙の中から言葉を「正しく」繋ぎながら、その場のひらめきの中でふわふわと空中に浮かんだ「何か」を捉えようとするという語り口というか。本当に思いつきで、何を言うつもりという事前の意図を固めずに話し始めているように見えるんですが、つらつらと語りながら、きっちり文章を文章として整合させつつ、何かを捕まえて着地する。ソール・ライターは皮肉なユーモアの持ち主でもあるんですが、その一方、確固とした姿勢を貫きながらファインダーを覗き続け、世界を見据え続けてきた人だけが辿り着く、ひとつの境地が滲んでいるような語りでした。たとえば彼がしゃべっているのを2時間聴く、というだけでも十分に作品として成立するんじゃないかというレベルです。

あと、彼を取り巻く「環境」もあれこれと取り上げられているんですが、アシスタントであるマルギットや飼い猫のレモンも、ある意味「散らかりまくったガラクタ積み上げ放題の部屋」すらも奇妙に美しく、やはりこういう人の周りには、やはり自然と絵になるものが集まるということなのか、実に魅力的で、ドキュメンタリーである本作に極めて映画的な魅力を添えています。

で、本作の「映画的」な魅力というところでいうと、もうひとつ。彼の人生上のパートナーであった「ソームズ・バントリー」の存在と、彼自身の家族や生い立ちの話があります。

自身が撮影者でありインタビュアーであるトマス・リーチはその2点について、ソールが自ら語る以上の言葉を引き出すことをしていません。ここではその内容については触れませんが、この2点があるがために、「皮肉っぽいけれどユーモアにあふれた、温和な老人の一人語り」の背後に、黒々とした大きな空洞がぽっかりと口をひらいていきます。写真家としてのキャリアを確立し、「過不足ない人生」を送り、そしてそれを静かに閉じようとしている老人が、自分の冗談で思わずくすくす笑うときのその笑顔が、具体的には描かれない「それ」を受け入れた上でのものである、ということだけが、事実として観客に提示されるわけです。最近改めて気づいたんですが、こういう「描かないことで描く」「欠落による暗示」というのは、けっこう個人的な好みにはまるんですね。

もちろん最初に挙げたソール・ライターの美しい写真と、彼本人の魅力的な語り口、というのがこの作品自体の魅力として際立っているのは間違いないんですが、監督であるトマス・リーチの存在が、この作品をそれだけ切り出して貼り付けたものでは終わらせずに、強い映画として観客に迫るものにしていると思います。

とまぁ、映画は実に素晴らしかったんですが、劇場になぜか猫のトイレの臭いが漂っていたのが唯一の難点で。とりあえずあれだけ散らかった中で猫を飼っているソールの部屋もこんな臭いだろうなぁと考えることで臨場感を増す方向でその場は解消したのですが、一体あれは何だったのか…