[movie] ディーパンの闘い

Dheepan内戦の続く祖国スリランカからフランスに逃れてきた3人の「偽装家族」を描いたジャック・オディアール監督の作品で、2015年のカンヌでパルム・ドール受賞作です。 と書き始めては見たものの、ジャック・オディアール監督作品はこれが初めてで、かつリアルタイムでパルム・ドール受賞作を観るのもこれが初めてだったりするので、実際のところ完全に手探りだったわけですが。

何というか、不思議な感覚でした。

主演のアントニーターサン・ジェスターサンが演じるディーパンはけっこうな顔力を備えていて、「虎」の異名を持つ反政府勢力の闘士としての説得力は十分以上(というか、本人がタミル・イーラムの少年兵上がりという経歴なので説得というより「現物」なわけですが)、「妻」を演じるカレアスワリ・スリヴァサンも「移民」にとっての「現実離れした現実」を正面から受け止めるにはまだ若い「妻」を好演しているのですが、プロットの角が取れていないというか。

ある意味、ハリウッドに甘やかされている、と言うべきなのかもしれませんが、するすると飲み込める喉越しではないんですね。ゴツゴツしているというと言い過ぎですが。

解放戦線の戦士だったディーパンがフランスの「団地」の管理人になり、日々の雑用をこなす日常パートに、その団地を根城にするギャングとドラッグ・ディーラーたちの不穏な流れが絡んできて、つに「家族」に直接の危険が及ぶに至り、というと、「あ、『そっち』かな?」と当然思うわけです。

ところが「家族」の方もあれこれと生の人間同士がその関係を徐々に結んでいく中でどうしても「ズレてしまう」みたいな流れが描写されて、簡単に「絆」みたいなものが出てこないんですね。そこはある意味、リアルといえばリアルで、そういうテーマはもちろん選択肢としてはありなんでしょうが、じゃ、どっちなの、と。

ここで「どっちかにしないのかー」と思ってしまうのが、非常によろしくないんだと思うんですが、その映画の本筋とは関係ない反省を片付ける暇もなく、映画はクライマックスに突入して、ディーパンはナタとドライバーを手に、ギャングのアジトに乗り込んでいきます。即席の火炎瓶を作り、車で突入して、煙が視界を完全に遮る中、階段をゆっくりと上りながらひとりずつ確実に片付けていくディーパンの、その足元だけを映し続けるシーンは素晴らしいんですが、「あ、やっぱりそっちなの?」という軌道修正が頭の後ろで走っていて、しかもその突入事態にはアクションとしてのオチはなく。あれ、何しに突入したんだったっけ、みたいな。

意味ありげな「象」のカットとかも合わせると、いわゆる一般的な映画の「方法論」を意図的に外しているのかと思うんですが、そうした「文脈」の助けがないので、いろいろと散りばめられているものをありのままに受け取ることになるわけで、本当に最近甘やかされているこちらとしては、観ててちょっと不安になるんですよね。あれ、これ、何か「解釈」できなきゃいけないんじゃないのか、みたいな。

しかし、基本に立ち返ると、そういう考え方自体、楽しむということに対して不謹慎な話で、こういう作品に出会った時に、星座にこだわらずに星空を観るような姿勢をすっと取り戻せるか、というのは、非常に重要なことであるように思います。とりあえず、個人的には、現実世界の内戦であったり、移民問題であったり、都市部の荒廃やドラッグの問題であったり、個人と家族の問題であったり、いろんなものがある中でそれを「ディーパン」の世界として切り出してきた作品として受け止めました(原題"Dheepan")。邦題のように「ディーパンの闘い」というとまた違う見え方になる気がしますが、それはそれでありかと思います。

ちなみに売人役でヴァンサン・ロティエという人が出ているんですが、この人、どこかエドワード・ノートンに似てますよね。(関係ない)