[movie] ヴィヴィアン・マイヤーを探して
『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』 引き取り手がなく競売にかけられたダンボール箱に入っていた大量のネガから「発見」された、ある無名のストリート・フォトグラファーの作品が、たまたまそれを落札した若者の思いつきによってネットで拡散され、10万枚に及ぶその膨大な作品群とそれを撮り、どこにも公開せずにひたすらに溜め込んでいた「作者」の謎の生涯に世界の注目が集まって、という、「事実は小説より奇なり」を地でいくようなお話のドキュメンタリー作品。
ヴィヴィアン・マイヤーについてはネット界ではかなり大きな騒ぎになったので割とリアルタイムで把握していたのですが、今回の映画では初見の作品が大量に取り上げられていてちょっと目を見開かされた思いだったり。
というか、私が持っている写真集に掲載されている作品ってどちらかというと二線級じゃないかという疑いが頭をよぎるくらい、映画に出てきた作品は素晴らしくて、むしろそっちを集めた写真集が出るなら買い直しますよ、というくらいの勢いだったのですが、その一方で映画としては、うーん。
映画として作る以上、あまり作品にばかりフォーカスを当てるわけにもいかなくて、人物を掘り下げて逸話を掘り起こして、っていう形になるのは仕方ないと思うんですが、例えば同じ写真家に脚光を当てた『ビル・カニンガム&ニューヨーク』だと、ビル・カニンガム自身の人柄というか人徳のようなものが中心にあって、観た後にポジティブなものが残るわけです。
一方、こちらはヴィヴィアン・マイヤーの人柄について、ある程度バランスをとって紹介しようとする意図は見えるものの、作品中にいろんな人物が直接言及している通り、「これ、故人は喜ばないよなぁ」という違和感がどうしても拭えなくて、なんとなく後味の悪いものが口に残ったまま黙ってしまうような感じになってしまうわけです。写真家の、人格はそっとしておいてやってくれよ、と。まして写真すら世に問わなかった人じゃないか、と。
もう一つ、同じく写真家を取り上げた映画である『セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター』にしても、やはり写真家自身の個人としての悲劇には触れながらも、プライバシーに対してはちゃんと一線を引いている作りになっていて、その辺のバランスには、単にテーマとなった写真家が存命かどうかというだけではない作り手側の姿勢に関わる何かがあるような気がします。
そういう意味では何というか、作り手が表現ではなく主張に拘泥している感じがあるのも違和感を増幅させているのかも。「美術館の権威は〜」とか、それこそ言及するまでもないどうでもいいことだと思うんですけどね。
ともあれ、いい写真を見せてもらったという点では満足でした。写真家ものとしては次は『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』ですかね。なんかまたどうでもいい感じの副題がついてますが。